みなさま、いかがお過ごしでしょうか
今日は七夕をネタにしていきたいと思います。
7月8日に七夕の話をする辺りが非常にこのブログらしい残念な逆張り感を漂わせていますが、いちおう言い訳すると本当は昨日投稿したかったんですよ自分も。
ただ記事書く時間がなかなか確保できずに、気付けば織姫と彦星がセパレート済みでした。
こういう季節モノの記事はサイゼリヤの料理みたいに前日以前に作り置き冷凍保存しておいて、当日はチンして投稿するだけの状態にしておいた方がいいですね。
こうしてまたひとつ邪悪なブログ術を覚えてしまいました。
そんなことはさておき、昨日は七夕でした。
いまさら解説するまでもないですが、天帝によって引き離されてしまった織姫ちゃん(455300000さい)と彦星くん(1201000000さい)が一年に一度、天の川を渡ってアレする感じのやつです。
中国の神話に由来しており、漢の時代には既に文献が存在していたとのことで、悠久の歴史を感じさせます。
オリジナルである中国では毎年七夕を盛大に祝う風習があり、それと同時に「情人節」(恋人の日、的な意味合い)として企業や商店にとっては一大商機でもあるようで、日本でいうところのバレンタインデーのような位置付けみたいですね。
もちろん中国には2月14日のバレンタインデーという概念も浸透はしているものの、それにかける人々の情熱という面では七夕の足元にも及ばないとのことです(Wikipediaが言ってました)。
日本でも当然国民には広く認知されている行事であり、この時期になると街のあちこちに七夕飾りが設置されていて必ず一枚は「世界平和」と書かれた短冊がぶら下がっています。
しかし、織姫と彦星のエピソードを一般常識として多くの日本人が知っていてなお、それを自分たちにも準えるような「恋人の日」といったニュアンスはあまり感じない行事のようにも思えます。
せいぜい、笹に願い事をぶら下げる日か短冊大喜利デーくらいの認識な人が多いのではないでしょうか。
本場中国との大きな相違点ですね。
余談ですが、日本では古来から七夕のことを「星合」と表現する場合もあります。
読んで字のごとく、織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)という二つのお星さまが出合う日であるためそのような形容の仕方をしています。
七夕伝説が日本に伝来したのが奈良時代の出来事だそうで、古くは万葉集に収録されている和歌のなかにも夏の季語として「星合」というワードが度々登場します。
それ以降も、夏をあらわすとして玉詞として長きにわたり日本人に愛されてきました。
また日本では人名としても存在しており、北畠家の家臣が統治していた伊勢国志那星合村がルーツとされていて、めちゃくちゃ由緒正しい苗字であることがわかります。
中学高校の同級生にひとり星合姓のヤツがいましたが、今思えば大変に高貴な苗字の持ち主だったわけです。
余談の余談なんですが、自分は年代的に前期ボカロ世代なので、七夕をモチーフとした「ホシアイ」というボカロ曲(わかる人はわかると思う)と中3の時に出会いました。
で、当時は星合という言葉が七夕を意味しているとは露知らず、なおかつ同級生に星合くんがいたものですから、自分からしたら曲名が「山田」とか「鈴木」みたいなもので、同級生の苗字が楽曲のタイトルになっていることに本気で困惑したものです。
その後にネットで検索して七夕のことを星合とも表現するのだと初めて知りました。
14の夏です。
そんな若かりし日の思い出もあってか、「星合」という言葉は自分にとって結構印象的なものだったりします。
少し長くなりましたが、今回はこの辺りで筆を置きます。
それでは、また。
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