2025年1月21日火曜日

乾燥注意報

 みなさま、保湿してますか?


昨日、久方ぶりに帰宅時に雨に降られました。

バイクの運転に支障が出ないレベルの雨量ではありましたが、雨天では道路の白線やマンホールが途端に無慈悲な化け物にみえてくるので、片道10キロ程度の道のりでも命がけとなり精神が摩耗します。


それはそれとして、雨というものをかなり久しぶりにみたなぁという感覚にもなりました。

過去記事を遡ると昨年11月20日に、冷雨のなか濡れながら通勤する哀れなバイク乗りの記事が投稿されておりましたが、体感的にはその日以来の降雨であるかのような気がします。

いや、年明けにも一回降ったかな…どうだっけ…


とにかく冬場は、前回はいつ降ったかの記憶もおぼろげになるほどに、滅多に雨が降りません。

これは冬季は北西(シベリア高気圧)からの季節風がメインとなり、その風が運んできた水分が日本列島中央部の峻厳な山々にぶつかることで日本海側に雪を降らすため、太平洋側に大気がやってくる頃には湿気の大半が失われた状態となっているからだそうです。

これ一番かわいそうなの日本海側じゃん。

例年豪雪で大変そうですが、ふぁいと、おーなのです。そのうち春になりますよ(他人事)。


そのうえ低気温では空気中の飽和水蒸気量も少なくなることから、ますます空気が乾燥します。冬場に口唇がこのブログの背景みたいに砂漠化するのはこのようなメカニズムに基づいているのですね。


冬の乾燥がもたらすデメリットはそれどころの騒ぎではなく、暖房機器からの火災リスクの増大もさることながら、特にインフルエンザ等のウイルスの活性化が何よりも恐ろしいです。

冬はクリスマスや忘年会、お正月など楽しいイベントが集中する季節ですが、それと同時に活性化したウイルスを被弾しないで生き延びられるかのロシアンルーレットでもあるわけです。しかも年末年始は病院もさすがにお休みのところが多く、感染して高熱でも出た日には絶望するしかないですよね。


また年が明けてすぐのタイミングに大学入学共通テストという少年少女たちにとって絶対に負けられない戦いが控えており、誰しもが感染防止の道のりから一歩でも踏み外せば奈落へと落ちていく、まさに綱渡りの季節です。

予防接種を受けたり基本的な感染対策を励行していても罹る時は罹るというのが本当に理不尽ですが、ウイルスさん側も生きるために必死なのでまあ大目に見てやりましょう。



閑話休題。

一昨日にはガザ地区での戦闘が停戦され、本日はトランプ氏の大統領就任といったように、ここにきて国際情勢が大きく変動してきております。

そのなかでも、今わたしが最もホットだと個人的に感じているのは、現在中国で猛威を振るいつつあり「第2のコロナ」とも称される…


ヒトメタニューモウイルス感染症 です。


※最低限の情報は得ておくべき話題だと思いますので、まず最初にYahoo!ジャパンニュースのリンクを貼っておきます。必読レベルです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/558abffaa5ad90efd2a67660fcf3f6ad7efac155


海の向こうで未知のウイルスが流行しているらしい…といった程度の対岸の火事として傍観している現在の雰囲気、新型コロナ初期の光景を思い出します。

他方、コロナと比べると毒性がかなり低く、また20年以上前に発生したウイルスであることから既に集団免疫を獲得しているコミュニティも多いといった楽観的な意見もあるため、実際のところコロナの時と同視しうるかはよくわかりません。


記事にもありますが、旧正月で中国人観光客がたくさん流入してくることは必至なので、もうじき国内でも感染が勃発・拡大しはじめることでしょう。

毒性が低くても、それ相応の風邪症状が出る以上は感染しないに越したことはないです。

それに、国外から持ち込まれた変な病気が流行するという、平穏な日常を侵食してくる出来事に対する本能的な忌避感も、社会にとっては結構マイナスに作用すると思います。

医療や防疫について素人の自分には行く末を見届けることしかできませんが、なるべく大事にならないようにみんなでお祈りしましょう人(-_-;)


それではみなさん、お元気で。




2025年1月15日水曜日

ご供養

 みなさま、ご機嫌麗しゅうございます。

またの名を弁護士Xです。


この「自由と正義と缶コーヒー」が昨年10月に突如として爆誕した理由について、事務所HPのリニューアルに合わせて誰も見たことが無いような衝撃の弁護士ブログを始めたくなったから(要約)と前々回記事でお伝えしました。


今回、ようやく当ブログが事務所HPのバーターとしての使命を果たせます。

事務所HPから飛んで来られた方しかいないと思いますので、細かい説明はカットで。

要するに、長すぎてリテイクをくらった事務所HPの自己紹介文の原文をこちらで供養する的なアレです。


ただでさえ冗長になりそうなので、前置きはこの辺りにして…

以下、フルバージョンになります。


 弁護士法3条1項は、弁護士が「その他一般の法律事務」を行うことを職務とする旨を規定しています。すなわち、弁護士は法律事務のすべてを行うことが予定されています。また、同条2項は、弁護士は「当然」に弁理士及び税理士の事務を行うことができる旨を規定しています。弁理士にせよ、税理士にせよ、いずれも極めて難関な国家試験に合格した人々のみが資格を得ることができる職業であり、前者であれば知的財産法に加えて科学、工学分野といった豊富な理系知識が、後者であればまるでアマゾンの密林のように複雑に入り組んだ租税法に関する知識が、それぞれ非常にハイレベルに要求されます。それでは、法律上「当然」に弁理士や税理士の事務を司ることができる我々弁護士には、それらの知識が「当然」に備わっているといえるでしょうか。残念ながら、そうではありません。一部、勉強熱心な先生方や他士業から弁護士に転向された先生などは実務家に匹敵するだけの知識量をお持ちかと思われますが、それらは特殊なケースであり、「当然」という言葉の対極にあります。我々は、司法試験と二回試験という決して生易しくはない試験を通過して今ここに立っています。ですが、その道のりで誰もが知的財産法や租税法をマスターしてきたのかと問われれば、必ずしもそうではないです。確かに司法試験の選択科目には知的財産法や租税法が設けられているため、個々人の方針によっては学ぶ機会があった人たちも一定数存在します。かくいう私も司法試験では知的財産法を選択しており、表面の食べやすい箇所をほんの数口齧った程度の知識であれば有しております。しかしながら、所詮は受験知識であり、その程度の知識量で弁理士や税理士を名乗ろうなど甚だ烏滸がましいと、本業の方々がみればきっとお怒りになるような粗雑で脆い付け焼刃に過ぎません。

 では、なぜ弁護士法はそのような不完全な我々に対して、弁理士・税理士を「当然に」含めた法律事務のすべてを司る、いわば法律事務の「総攬者」とでもいうべき強大な権能を与えているのか。それは、弁護士が絶え間なく学び続ける生き物であるという無上の信頼があるからだと考えます。弁護士法2条は、弁護士は常に「深い教養の保持」に努め、「法令及び法律事務」に精通しなければならない旨を規定しており、平たくいえば弁護士はいかなる時でも仕事以外に勉強もサボってはいけないよと義務付けられているわけです。さてはて、曲がりなりにも相当な量の勉強をこなして弁護士資格を取得した身からすると、もっと勉強しなさいというのは非常に耳が痛くなる話ではありますが、弁護士法は我々がかかる義務を決して怠らないと信頼してくれているからこそ、我々に法律事務のすべてを任せてくれているのです。裏返せば、弁護士である以上は「学び」からは逃げられないということも意味しております。もし私が今後、特許出願や確定申告といった手続の代理業務をすべき局面が訪れた時、当たり前ですが「専門分野じゃないから」「司法試験で選択していないから」は何の言い訳にもなりません。そんなことは依頼者には無関係な事情だといえます。

 法律を学んでいるとそれとなく見えてくる法則性があります。それは、いかなる法分野であっても意外にも基本的な発想は通底しているということです。たとえば法律の条文の多くは「要件-効果」(一定の要件が具備されれば、一定の法効果が生ずる。)という単純な構造をしており、それ自体は民法も刑法も会社法も、特許法も消費者契約法も景品表示法も、大して相違ないです。加えて、法律の大半は成文法以前から人間社会に存在している社会常識や倫理道徳に沿った内容となっているため、日常生活ではまず使わない因数分解やジュールの法則などを一から暗記するのと比べれば、感覚的にも遥かに理解が容易です(私が文系脳なだけかもしれませんが…)。したがって、一見すると未知の法分野であっても、我々が司法試験や司法修習時代に主としていた民法や刑法などの基本法令に関する膨大な学習を通じて培った「法的思考力」という武器がある限りは手も足も出ないことの方が稀であり、実際はすんなりと吸収できるケースが多いのです。見た目は全然違うウニとナマコとヒトデが実は同じ生物グループに属しているのと同様に、法律も丁寧に紐解いていけば、他法令の仕組みの流用などによる共通点がよく見受けられます。よって、仮初にも弁護士になれるだけの能力と努力を兼ね備えた我々であれば、理論上は法律事務を「総攬」することも不可能ではないはずです。と言いますか、むしろ結果論としてのできるかできないかよりも、できるようにならねばという意欲を捨てないことこそが最重要なのかもしれません。

 さて、以上を踏まえ、これから幾年月このお仕事に従事するかはわかりませんが、それがたとえ50年であろうと70年であろうと、私は常に学ぶことを忘れないような弁護士で在り続けたいと思っています。今日では弁護士の業界競争も熾烈を極めているようで、資格の取得がゴールだと考えている先生など最早おらず、刻々とアップデートされていく法律や判例、社会制度や世論や常識などに置き去りにされないように誰もが日夜研鑽に励んでいることと思われます。私はまだまだ知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多い若輩ですが、周囲の皆様に遅れを取らないように、或いは法の信頼を裏切らないように、現状に満足することなく、これからも学び続けます。


どうでしたか。

いい事を言ってる自分に酔ってそうな感じがすさまじく、3ヵ月越しに腹立ってきます。

しかも長いわりに内容はありきたりで薄く、まるで司法試験の優秀答案みたいですとても法律家の書いた文章とは思えません。


――本日の教訓です。みなさん、こういう見せかけの文章にコロッと騙されないようにしましょう。


それではまた。



2025年1月6日月曜日

変わり映えのない年末年始

 えー、みなさま。

新年あけましておめでとうございます。


今日から仕事始めの方が大多数かと思われます。

10日近くもぐーたらしていたので自分の職場がどこだったかすら忘れかけていましたが、気を取り直してがんばります。


自分の場合、年末年始にやることは毎年ルーティン化しており、大晦日には、地元で有名な狐の行列を参観しにいきます。

我らが北区の誇る、王子稲荷神社の狐の行列という年越しイベントなのですが、なんと最近は北区を超えて、東京を超えて、日本すら超えて、海外からもたくさんの観光客の方々がジャパニーズ・フォックス・パレードを一目見ようと王子まで足を運んでくれるようになりました。

北区王子というJRも東京メトロも都電荒川線さえ通っているにもかかわらず普段は全然目立たない街が、1年で唯一、世間様からの脚光を浴びる日なのです。


さて、大晦日といっても、実際には毎年深夜0時を回って年が明けてからモコモコの上着を着用してのそのそと家を出てますので、実は正月のルーティンだったりします。

数年前までは大晦日にガキ使が放映していたので、それを最後まで視聴してから家を出るくらいで丁度いいタイミング(だいたい0時半)だったわけですが、色々あってガキ使が放送されなくなって以降はボーっと時間の経過を待つだけの大晦日が増えました。

年末のガキ使は歴代最低との呼び声高い2020年を最後に放映が止まっている状況ですけど、残念ながらこのままシリーズ終了ということなのでしょうかね?

自分は紅白は観たいアーティスト以外は観ないタイプ(2024年はこっちのけんとさんだけ観ました。)なので、大晦日はガキ使がないと本当に暇です。結局YouTubeを観たりしますが、いつでも視聴できるコンテンツでは特別感に欠け、どこか物足りない。


話を戻すと、大晦日は深夜から近所の神社が主催している狐の仮装行列を参観し、その流れで近所の神社を3軒ハシゴします。回る順番も決まっており、全ての行程が終わる頃には深夜3時です。その後、帰宅し、軽く晩酌(?)してからお布団に潜り込みます。

そして翌日は12時くらいまで爆睡するという、きわめて模範的な年末年始を毎年繰り返しております。


年末年始の雰囲気をぞんぶんに味わえて個人的満足度が高いルーティンであることから、とりあえずこれをやっておけば間違いないという絶対的な安心感が自分の中にあります。

逆に、いつもと違うことをして微妙な年末年始になってしまうと1年間モヤモヤを抱えて過ごすことになりそうなので、なかなか冒険ができないところでもあります。


なので、今年の年末もきっと同じサイクルの繰り返しになるでしょう。

でも、同じことを繰り返せるという平穏な日常こそが何よりも大切なのだと思います。

今年もいつも通り笑って年を越せるように、1年間せいぜい頑張ります。


それではみなさま、本年もよろしくお願いいたします。




濡れないという衝撃