みなさん、調子どうですか。
私は先日、当番弁護(刑事事件関係のとある制度です。そのうちちゃんと説明します。)の待機日があり、そこから受任して数日ほどドタバタしてました。
スケジュール的に建国記念の日も祝日返上で活動せざるを得ませんでしたが、この常に一刻を争うようなライブ感が刑事事件の醍醐味だったりもします。
まあその辺りは人によるんでしょうけど。
さて、カレンダーをご覧になったでしょうか。
本日は待ちに待った13日の金曜日です。
欧米では不吉な日の象徴として位置付けられており、我が国においても某ホラー映画の影響などから不吉のイメージが定着しているかと思われます。
それでは、どうして「13日の金曜日」が殊更に不吉なものとして扱われるのか。
第一に、欧米圏では「13」という数字が忌み数だからという理由が有力です。
時間や月、星座、オリンポスの神々、イエス・キリストに師事していた使徒たちなどといった欧米の神話や文化に由来する高尚な概念の共通点として、「12」という単位で括られていることが挙げられます。
延いては、欧米では「12」という数字が事物の完全性を象徴するものとして見なされるようになり、その反面、それを逸脱した「13」という数字が不気味なものとして忌避されるようになったという見解です。
第二に、聖書の影響だと分析する見解もかなり有力です。
上でも登場したイエス・キリストの12人の使徒ですが、かの有名な「最後の晩餐」(ダヴィンチの絵画は誰しも一度は目にしているでしょう。)では、イエス本人も含めた計13人でディナーを摂っていました。
そして、そのテーブルでイエスが「弟子の一人が自分を裏切る」と告げ、実際に使徒のひとりであったユダがイエスを裏切って捕縛へと導いた、というエピソードは広く知られています。
この巨匠によってイラスト化までされた世界一有名な裏切り者であるユダ氏が「最後の晩餐」の場で着席していた位置が、テーブル全体で数えて13番目の座席だったというのです。
そのため、キリスト教圏では「13」という数字が非常に忌まわしいものと考えられるに至りました。
また、ユダの裏切りによってイエスは処刑の運命を辿る結果となったわけですが、イエスが十字架による磔刑となった日が金曜日であったことから、「金曜日」に対しても人々は忌避感を抱くようになったのです。
したがって、「13」と「金曜日」というそれぞれ不吉を象徴する概念が悪魔合体した「13日の金曜日」が不吉じゃないワケがないと(いわば不吉のカツカレーです)、そういった経緯から「13日の金曜日」のことを大いに恐れて嫌悪する慣習が発祥したと考えられています。
話は変わって、キリスト教や西洋神話とは縁遠い日本において「13日の金曜日」が不吉なものだという認識が浸透していることの要因としては、恐らくは人間離れした某殺人鬼がホッケーマスクを被ってチェーンソーを振り回しながら人々を殺戮していく某スラッシャー映画シリーズの影響だと思います。
全10作品が製作されているシリーズですが、映画自体は全く鑑賞したことがない人であっても、メインキャラクターである某殺人鬼のビジュアルイメージだけは分かるというパターンが多いのではないでしょうか。
それくらい印象的なビジュアルをしており、キャラデザの完成度の高さが窺えます。
ちなみにこの某殺人鬼、実際の作中では言うほどホッケーマスクは被っておらず、チェーンソーに至っては一度も使用したことがありません。
ですから、世間的なジェ〇ソンのイメージはむしろ映画を観たことが無い人々をメインに形成されてきたのだと思います。
なお、〇ェイソンにチェーンソーという誤ったイメージが定着してしまった背景としては、『悪魔のいけにえ』というこれまたスラッシャー映画の金字塔である作品に登場する殺人鬼がチェーンソーを振り回して大暴れしていたことが大きいのではないかと考えられています。
早い話が、同じジャンルの有名作品に出てくるキャッチ―な殺人鬼たちが混同されてしまったわけです。
さて、今回は時事ネタ雑学回ということで「13日の金曜日」について簡単に解説してみました。
この記事を読んでいるあなたの後ろにも、言うほどホッケーマスクを被ってはいない何者かが、チェーンソーではない何かしら危ないやつを片手に、音もなく忍び寄っているかもしれません…
信じるか信じないかは、あなた次第です。
なんだこのオチ
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