みなさん、突然ですが「外装慣らし」という言葉をご存知でしょうか。
車にせよバイクにせよ、エンジンとミッションで走る乗り物たちは、走行距離ゼロのピカピカの新車の状態が最も優れている訳ではありません。
少し難しいワードを用いると、エンジンやトランスミッションといった精密機構には「摺動部(しょうどうぶ)」という部品同士が擦れあって機能するための部位が無数に存在します。
そして、新車においては当然ながら摺動部を構成しているパーツも真新しい状態であるため、各パーツの擦れあう面と面とがまだ馴染んでいないことから、いきなり高負荷をかけてしまうと擦れるパーツがいててててと悲鳴を上げて、車体トラブルや不調の元凶になってしまうのです。
そこで、走行を重ねることでパーツ同士が馴染んでくれるまでは、エンジンやミッションにあまり負荷をかけ過ぎずに紳士的な運転を心がけましょう、というのが慣らし運転という概念です。
具体的には、新車の状態から自動車なら1000~3000km程度、バイクなら500~1000km程度を走行するまでは、エンジンの回転数を4~5000回転以内に抑えて運転するように気を付けます。
最近は部品精度の向上によって理論上は慣らし運転が不要な車種も増えているそうですが、慣らし運転という概念自体が無用になったとまではいかないでしょう。
ここまでが前置きです。
それでは、冒頭の「外装慣らし」について説明したいと思います。
まず、バイクと自動車との最大の違いは何でしょうか?
屋根がない? タイヤの数? 女ウケのよさ??
…正解は、バイクはコケる乗り物だということです。
言うまでもなく、バイクは右にも左にも転倒する乗り物です。
自動車であれば四つ足なのでコーナリング時などに遠心力で吹っ飛ばない限りは横転することはないですが、バイクはいついかなるシチュエーションからでもコケることができるという無限の可能性を秘めています。
まだ話が見えてこない人が多いかと思います。ここからが重要です。
バイクは趣味の乗り物ということもあり、オーナーからはお洒落なカスタムで着飾られ、高級なオイルを注がれ、屋根付き・空調完備の寝床を与えられる等々、蝶よ花よと可愛がられるのが当たり前の存在です。
彼女らは、人間様からチヤホヤされることに慣れています。
そんなバイクちゃんたちが恵まれた環境で甘やかされ過ぎたあまりに世の中ナメてしまわないように、生後間もなくの時点で世の中の厳しさを一発叩き込んでやる高尚なイベントこそが
「外装慣らし」です。
具体的には、まだ新品同様で傷ひとつないピカピカの車体をうっかり転倒させて、バイクちゃんの柔肌に消えない傷を刻みつけることにより、渡る世間は鬼ばかりだゾっ♡という非情な現実を若いうちから学ばせてやるのです。
いやあ、素晴らしい英才教育だなぁー。
傍から見ると、買ったばかりの慣れない車体をまだ扱いこなせず、ふと油断した瞬間に盛大にコケてしまい、新車の綺麗なボディに無様な傷が入ってしまって涙目になっているだけのようにみえるかもしれません。
しかしながら、その真意は上述したように高尚で崇高で神聖で荘厳なセレモニーなのです。
己が愛車を大切に想うからこそ、必要な愛のムチなのです。
昨日、納車から1ヵ月も経っていない新型カタナで立ちゴケをやらかしました。
駐輪場にて、サイドスタンドを出したと勘違いしたままバイクを降りたところ、実際にはスタンドは出ておらず、想定外の事態に対応が間に合う訳もなく、そのまま車体は吸い込まれるように左側に倒れていきました。
それは12月の深夜、凍てつくような寒さのなかでの出来事でした。
ツヤ消し加工が施された高級感あふれる紺色のカウルの塗装が剥げ、白い中身(伝われ…)が出てきました。
ワイルドな漆黒のエンジンカバーにも痛々しい傷がつきました。
ついでに左手の中指が下敷きになり血が出ました。
私の心もズタボロです…。
が、これは必要な「外装慣らし」なので痛くもかゆくもございません。
だから悔しくなんてないのです。
悔しくない悔しくない悔しくない悔しくない悔しくない悔しくな
チクショーが!!
※説明には独自解釈が大いに異物混入していますが、「外装慣らし」自体はバイク乗りの界隈で実際に使われている由緒正しい言葉です( ;∀;)
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